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マトリックスを組み直す『Fever 発熱について我々が語るべき幾つかの事柄』

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   献本御礼 発売にはまだ少し間があるようだけど、一気読みしてしまったのでその勢いでここに感想を書いておく。

   発熱は患者に起きる現象であり、疾患名ではない。プロブレムですら、ない。診療現場では発熱はコモンな現象であるが、その現象と対峙し、背後にある原因=診断名にたどり着く方法論をきちんと意識的に持っている医師はそう多くない。多くは「うちの科の病気を型どおりにワークアップ」するのだが、そもそもその熱が「うちの科の病気」である保証はない。よって、型通りのワークアップで頓挫すると「うちの科じゃない」と投げてしまう。

   まあ、アウトソーシングも必ずしも悪くないのだけれど、時にはこれが連鎖することもあり、患者の科間たらい回し状態になることもある。他科の医者に相談すること、他者の言葉に耳を傾けることはとても大事だが、せめて診断がつくまでは患者を放り投げてはアカン、とぼくは思う。よって、「うちの科の病気を型どおり」は方法論的に正しくない。

   もっとひどいのは現象そのものにアセスメントなしで場当たり的なアプローチをしてしまうパターンである。血液検査をしてCTをとってPETをとって抗生剤使ってステロイドパルスやって、、、、これは将棋や囲碁で言うなら、考えなしに駒や石を次々に置いているだけである。自然治癒する疾患か、「まぐれあたり」に期待しない限り、この方法論(方法論と呼ぶべきかもあれだけど)も正しくない。まあ、自然治癒する熱は多いので、結果オーライになっちゃうラッキー事例のために痛みは希薄になりますが、このやり方だと構造的に必然的に「絶対」いつか失敗します。

   ところで、「不明熱」は発熱という現象の一バリエーションで国内外で総説、雑誌の特集、書籍化がなされている。しかし、その多くは「項目事のまとめ」であり、「感染症だったらこういう鑑別」「悪性疾患ならこう」「リウマチ性疾患とその周辺ならこう」と総説記事の羅列をしているに過ぎない。かくいうぼくもケアネットDVDでそういう企画をやったけど、やはり羅列感は否めず、「方法論」としてがっちり取っ組み合うものではなかった、事例提示と分析以上のものではなかったと反省しなければならない。

発熱を考える方法論とは

   では、発熱を考える方法論とはなにか。 科学とは、分類することである。少なくとも分類のない科学はありえない。問題は、その分類には科学的(あるいは非科学的)真理のようなものはなく、すべて構造主義的な恣意性によって導き出されたものだ、ということだ。しかも、分類はただ概念をぶった切るのではなく、むしろ系統樹的に、あるいはマインドマップ風に枝分かれしていかねばならない。そこに時間の要素が加味されるため、一見方法論は複雑になる。もっとも、これは発熱と真剣に取っ組み合っているものが普段やっていることを後知恵で説明しているだけで、当人はそれほど難しい作業をやっているのではない。

   問題は、疾患カテゴリーによって枝分かれの作り方や枝分かれの基準というのは異なる、ということだ。そして、それぞれの医師はおかれたセッティングによって経験する、経験するであろう疾患群が異なるため、じぶんがめったに見ない疾患へのアプローチが不得手になる。

   本書「Fever」はそのような不得手な領域の枝作り、経験によって涵養しにくい方法論を取得するのにとても参考になる本だと感じた。前置きが長くなったので、具体的に事例をあげる。

   例えば、SLEという病気がある。感染症屋のイワタも非感染症をよくみる。熱とCRP高値で相談されたけど、じつは膠原病でした、というのもよくある話である。しかし、イワタのところに紹介された患者が実はSLEでした、という事例はほとんどない。SLEは診断基準がかなりしっかりしているし、感度の優れたマーカーが存在する(抗核抗体)ため、感染症と間違われることは稀有だからである。たまーに薬剤性ループスをみたり、医療アクセスの悪い途上国で「できあがった」SLEをみることはあるが、以上の理由でイワタのSLE経験値は、プロの膠原病屋さんたちとは天と地ほどの差がある。

   で、今回SLEか否かを「CRP上昇がなければ」という初動のアプローチをしているのを見て「へえええ」と思った(274pなど)。こういう世界の切り方はしていなかったからだ。SLEと診断された患者のCRPがいくつだったか、はなから興味がなかったからだ。

感染症と膠原病では初動のアプローチが異なる

   もともと、感染症と膠原病では初動のアプローチが異なる。膠原病は感染症に比べると疾患数が圧倒的に少なく、病歴が相対的には診断に寄与しにくい。疾患数が少ないためマーカーを網羅的に検査してもそれほど医療経済的にも非効率ではないので、まずは検査、となる。

   感染症の場合は原因微生物は多岐にわたり、それら全てを網羅的に検査するのは医療経済的にはかなり無理筋だし、感度・特異度のことを考えるとかえって混乱を招く可能性が高い(今でもβDとかCMVアンチゲネミアをバンバンだして混乱した診療をしてしまう事例は多い)。また、病原体と感染経路が存在しなければ当該感染症は「絶対に」ありえないので、病歴でかなりの感染症は絞り込むことができる。海外渡航歴のないマラリアはほとんどないし、性交渉なしでSTDになることもない(あるとすれば、そこにはこれまた奇妙な病歴があるに違いない)。

   初動のアプローチがずいぶん違うのであるが、目の前の患者が何者か分からない「現象」の状態では両者の方法論をほどよくミックスしなければならない。

   そういう意味で、各症状について「感染症」「膠原病」「その他」の臨床上の特徴をまとめた表(90p)はとてもユニークで面白いし、年齢別に膠原病を分けた表(182p)とかはぼくみたいな非膠原病屋にとって頭の整理に有用だ。いろいろな分類の切り方を知っていたほうが引き出しのリッチさは増していくし、世界も豊かに見えてくる。Dの疾患どうしの組み合わせで鑑別を考える、というやり方もとてもユニークだ。まあ、ぼくはああいうやり方で両者を比較することはないけれども、それはぼくの世界の切り方が異なるからである(正しさとは、関係ない)。

   ついでに言えば、ぼくは診療でIL-2Rを使うことはないし、活動性結核の診断にツ反やIGRAも使わない。情報量は増えるが、診断には寄与しないからである。スティルを疑えばフェリチンを出すし、CRPもオーダーするけどその使い方はかなり本書とは異なる。CRPは量的吟味をする必要のある検査で、例えば本書455p以降にあるような「陽性」「陰性」という二元論的扱いで切るのはまずい、というのがイワタの意見。CRPが2なのか、20なのかは重要な問題だが、「陽性か」「陰性か」はさしたる問題では無いのである。全体的に、本書は「診断には寄与しないし、デシジョンメーキングにも影響を与えないのだけれど、疾患には特徴的な検査」を多用する傾向がある。PETの使い方なんかがその一例だ。まあ、ひとつの流派と考えるべきなのだろう。ぼくはイラチなので、診断に時間をかけたりお金をかけたり、患者に労を強いる作業をすっ飛ばしたがる。枝分かれのノードで、「右か左か」決めるのに必要な検査以外はやらないほうがよい、派だ(そのことは新著「テーブル回診」にも述べられている)。

かなり勉強になった

   本書は自分の経験値がない、乏しい領域、勉強不足の領域を明らかにするのにも有用で、あらためて自分の勉強不足に不明を感じた。ウェゲナーやチュルクがこんな名前に、、、といった博物学的なトピックには興味が無いのでそれは良いとして(感染症であっても興味が無い)、Fabry病のアプローチ、若年性特発性関節炎、ランゲルハンス細胞組織球症(p207より)、といった小児科疾患。Rosai Dorfman病みたいな炎症性疾患(459p)、angioimmunoblastic T cell lymphomaのようなへんてこなリンパ腫(489p)なんかはかなり勉強になった。

   本書は複雑で散文的な作りをしており、どのように読まれるかは「読み手がどういう人物か」によって大きく異なるだろう。ぼくが読んでふーん、と流したところに引っかかる読者はたくさんいるだろうし、ぼくが「へえ」と思ったところを「そんなの常識」と思う人も多いだろう。こちらの診療面のでこぼこを埋めてくれるように、多様な読み方をすればよいのではないだろうか。いずれにしても本書を読んで「何も得るものはなかった」という人は、超スーパー臨床医か、臨床にはまったく不向きな人のどちらかとぼくは思う。

   熱の方法論に完成形は(まだ)ない。本書を読んで、思索と議論のきっかけにすればいいんじゃないかな。

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この記事の監修・執筆医師

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