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失われてゆく、我々の内なる細菌

   本書はすごい本である。微生物学者、感染症屋はぜひ読むべきだと思うし、消化器内科医とかにも絶対に読んでほしい。産婦人科医も一読してほしい。いや、とにかくみんなに読んでほしい。

マーティン・J・ブレイザー(2015)「失われてゆく、我々の内なる細菌」みすず書房
マーティン・J・ブレイザー(2015)「失われてゆく、我々の内なる細菌」みすず書房

   本書は抗生物質の使いすぎによる人間の共生微生物、マイクロバイオームの喪失に警鐘を鳴らす本である。というと、妙にナチュラル志向というか、科学否定主義というか、医学・医療全否定とか、「抗生物質やワクチンの副作用が怖いから、感染症になった方がマシ」的な本末転倒とか、そういう類の主張ではないか、と危惧されるかもしれない。トンデモ本なんじゃないの?という懸念もあるかもしれない。

   そんなことは全くない。著者のマーティン・J・ブレイザーは超一流の医学者であり、微生物と感染症のスペシャリストなのだから。感染症のオーセンティックな教科書、「マンデル」の監修者でもある。Bennett、Dolin、そしてBlaserの3名が最新の第8版の監修者なのだ。

   ブレイザーはもともとカンピロバクターの研究をしていた。胃で見つかるらせん菌、後にヘリコバクター・ピロリと名付けられる菌が、胃炎や胃潰瘍、さらには胃がんなど多様な疾患の原因であることをオーストラリアのウォレンとマーシャルが発見し、ブレイザーもピロリ菌の研究に従事するようになる。

   ブレイザー日本人の胃がんとピロリ菌についても数多くの研究を行っている(Ando T, Peek RM, Lee Y-C, Krishna U, Kusugami K, Blaser MJ. Host cell responses to genotypically similar Helicobacter pylori isolates from United States and Japan. Clin Diagn Lab Immunol. 2002 Jan;9(1):167-75.など)。そしてピロリ菌感染でもCagAタンパク質を発見し(124p)、これが胃がんなどの疾患と強く関連していることを見出したのだ(Blaser MJ et al. Infection with Helicobacter pylori strains possessing cagA is associated with an increased risk of developing adenocarcinoma of the stomach. Cancer Res. 1995 May 15;55(10):2111-5)。

   ブレイザーはだから、ピロリ菌が人の疾患と強く関連していることを誰よりも深く理解している。抗生物質(など)によるピロリ菌除菌の臨床的な意義も、当然否定しない。

   さて、世の中はピロリがいればとりあえず殺せ、という圧力が強まっている。ピロリ菌は「ヒトの主要な病原体であり、除去した方がいいという考え方は強固なものになった」のである(123p)。健康な無症状なヒトでもピロリを除菌すれば胃がんの発症を減らせる(かも)というメタ分析もあるなかで(Ford AC et al. Helicobacter pylori eradication therapy to prevent gastric cancer in healthy asymptomatic infected individuals: systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials. The BMJ. 2014 May 20;348:g3174)、「ピロリがいればなんでも除菌」という除菌圧力が起きるのも不思議ではない。

   しかし、ブレイザーはこのようなシンプルな理路(ピロリは病気の原因、だから殺せ)に満足しなかった。彼は、普通の人なら、しないであろう問いを自らに問う。

「長く見過ごされてきた胃炎とピロリ菌の関連を、なぜ、ウォレンが見つけることができたのか」(127p)。

   「曲がった菌」はすでに19世紀の病理学者が発見していた。しかし、昔はほとんどの人がピロリ菌に感染していたのだ。それが社会の衛生化や抗生物質の使用で「ピロリ菌をもつもの」と「もたないもの」に分類されるようになった。だから、「もっているもの」の特徴が「もっていないもの」の存在との対比によって明らかになったのである。「ウォレンらがピロリ菌と胃炎の関連を発見できたのは、ピロリ菌の陽性率が低下し、その感染が普遍的でなくなったが故」(128p)だったのだ。

   ブレイザーはさらに考える。もともとピロリ菌はヒトと共生してきた菌である。ピロリ菌は胃に炎症を起こす。我々は正常な胃には炎症は起きていないとかんがえる。しかし、それは本当か。

「問題の核心は、何が「正常」か、ということ」(133p)

ではないのか。

   ヒトの胃に住むピロリ菌が胃に炎症を起こしている姿こそがヒトの正常な姿ではないのか、というのだ。驚くべき思考の深さだ。

   医学は「異常」を扱う学問である。よって、なにをもって「正常」とするかには高い関心を持つべきだ。しかし、我々はわりと異常と正常の違いをシンプリスティックに扱いすぎてはいないだろうか。

   ピロリ菌はいろいろな病気の原因である。しかし、逆に病気から身を守っている存在でもある。例えば、胃食道逆流だ(139p)。そして、バレット食道、食道がんである。ブレイザー氏によると、

「ピロリ菌が胃酸の調整を助けている」(141p)

のである。

   ブレイザー氏はさらに、ピロリ菌が喘息の予防に寄与していると主張する。単に胃食道逆流による咳ではなく、アレルギー性鼻炎やアトピー性皮膚炎などアレルギー疾患の多くが、ピロリ菌が起こす胃の中の炎症によって減っているのではないかというのだ。CagA陽性ピロリ菌がいれば、喘息発症率が低くなるのだ(146p)。もちろん、ピロリ菌は喘息の原因のすべてではない。しかし、たいていの疾患リスクは、その疾患の原因の全てではないのだ。

   ピロリ菌は病気の原因であり、病気から身を守ってくれる存在である。ピロリ菌は両義的な性格を持っているのである(154p)。

   本書ではピロリ菌以外のトピックも刺激的だ。例えば、帝王切開を行うことで膣内の常在菌と新生児が触れ合うことが妨げられてしまう問題(第8章)。帝王切開そのものがいけないというのではない。根拠の無い帝王切開のやりすぎが新生児に与える影響に警鐘を鳴らしているのだ。抗生物質が家畜を太らせる効果があることはよく知られている。アメリカ人の異常なまでの肥満の増加には、セデンタリーなライフスタイルや食事の変化だけではなく、抗生物質の使用が関与しているのでは、とブレイザーは主張する(第12、13章)。I型糖尿病やセリアックス病、炎症性腸疾患といった自己免疫疾患にも抗生物質によるマイクロバイオームの喪失が寄与しているのでは、と本書は訴える(第14章)。もちろん、よく知られた薬剤耐性菌やCDIの問題も本書は取り上げている。

   抗生物質を積極的に用い、そしてその恩恵を誰よりもよく理解している感染症のプロが本書を執筆したというのが画期的だ。ブレイザー氏は一般書を書くのは今回が初めてだそうだが、2015年の「タイム」誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたという。本書はとても読みやすいが、その理路は緻密で「トンデモ本」のような飛躍や誇張がない。和訳のタイトルも美しい。

楽園はこちら側
http://georgebest1969.typepad.jp/blog/

この記事の監修・執筆医師

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