「アメリカの感染対策はうまくいっていない(だから日本の感染対策はこれでいいのだ)」という夜郎自大な言説をよく耳にする。本当だろうか。
昔は事実だったかもしれない。しかし、現在は必ずしも事実ではない。
たしかに、アメリカは耐性菌大国だし、院内感染も多かった。私がニューヨーク市で研修医だった頃、アメリカではMRSAが蔓延しすぎて接触感染予防の対象にすらなっていなかった。VREも蔓延してやはり隔離の対象にはなっていなかった。
私がアメリカにいた5年間で、耐性菌はどんどん増加し、使用する抗菌薬もどんどん広域になっていった。1998年に渡米した時は市中肺炎の第一選択薬はセフロキシム(第2世代セフェム)であり、セフトリアキソンを使うためには感染症フェローの認可が必要であった。しかし、耐性菌の増加とともにセフロキシムは使えなくなってきて、なし崩しにセフトリアキソンも多用されるようになった。
1999年、アメリカ医学研究所(Institute of Medicine, IOM)は毎年10万人近くの患者が院内の医療過誤で亡くなっていると報告した(Donaldson MS. An Overview of To Err is Human: Re-emphasizing the Message of Patient Safety. In: Hughes RG, editor. Patient Safety and Quality: An Evidence-Based Handbook for Nurses [Internet]. Rockville (MD): Agency for Healthcare Research and Quality (US); 2008 [cited 2015 Jul 3]. Available from: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK2673/)。
一般市民は、病院は病気を治す場所だと思っている。しかし、現実はそうではない。多くの患者は病院で新たな合併症になり、そして亡くなっているのだ。アメリカ社会はこの事実を知って驚愕したのである。
院内感染症は必ずしも「医療過誤」ではない。我々医療者は、院内感染を不可避な必要悪と考えがちだ。しかたないよ。医療をやっている限り、感染症は回避できないよ、と諦め顔に(コンプレーセントに)なりがちだ。
しかし、アメリカ人は(よくも悪くも)妥協を許容しない。認めがたいことは認めがたい。院内感染は「仕方がない副産物」ではなく「許容されない」存在に転じたのである。
2008年、アメリカの2大公的医療制度を管理するメディケア・メディケイドサービスセンター(CMS)が入院時に存在せず、入院後発症した院内感染に対する医療費の追加支払いをしないと発表した
アメリカは(良くも悪くも)カネの論理が全ての論理に優先する。もっとも日本もひとのことは言えないが。これまでは「仕方のなかった」院内感染が、病院経営に大きな影響を与えると知り、病院は本気になり、必死に感染対策をとるようになった。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によると、2008年から2013年までに、中心静脈関連血流感染(CLABSI)は約半減し、術後創部感染(SSI)も約2割減少した。MRSA菌血症やCDIも減少し、カテーテル関連尿路感染(CAUTI)も減少の見込みである(Data and Statistics | HAI | CDC [Internet]. [cited 2015 Jul 3]. Available from: http://www.cdc.gov/HAI/surveillance/)。
もっとも、CLABSIは減っていないというデータもあるので(Vaz LE et al. Impact of Medicare's Hospital-Acquired Condition Policy on Infections in Safety Net and Non-Safety Net Hospitals. Infection Control & Hospital Epidemiology. 2015;36(06):649-55.;Lee GM et al. Effect of nonpayment for preventable infections in U.S. hospitals. N Engl J Med. 2012 Oct 11;367(15):1428-37)、この問題はいまだ揉めているややこしい問題だ。病院サイドとしては「院内感染にカネを払わなくても、感染は減らない」と主張したい(そして支払いを復活させたい)であろうから、そういうバイアスの扱いもやっかいだ。