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ゴールデンタイム、主体、話し合い、そして民主主義と未来

「なぜ」と考えよ

   また今から思うと、大きな特徴は"話し合い"でした。子どもにとって描画や造形や音楽、運動などは大切ですが、同じように"話し合い"ということにも重きを置いていました。特に年長クラスでは、椅子を丸く並べていろんな話題で子ども同士が意見を出し合う機会を持ちました。

   これは職員にも求められていましたから、園の風土のようなものでもありました。毎週金曜日の晩は職員会議があり、いろんな意見を出し合います。といっても日によってかなり園長VS主任の意見のラリーをするので、私などはテニスの観客さながらカキンコキンと首を交互に動かすだけの状態でした。

   園長の言うことはもっともだ、いや意見の違う主任の言うこともなるほどだ、いやいやどちらの意見も共通しているところも実はある......など二つの価値観(実は根っこは一つ)に遭遇してハラハラドキドキしたり、「どっちの言うことも難しゅうてよくわからん......」となったり、家に帰ってから「あの時にああ言えばよかった」とか「ボクはどちらでもない別の意見だ!」と悔しがったりしたものでした。会議のたびに、「園長と主任とでスパっと物事決めてくれたらいいのに......そこまで時間をかけるか!?」とよく思ったものでした。

   よく求められたのは「なぜ」と考えよということでした。「それってほんまに?」ということでした。「なんでそれするん?」とどれだけ言われたことか。今になって、いろんな学びをさせてもらったのだと思います。

   この昭和のお二人には共通の思いがありました。それは、平和な世の中、本当の民主主義の世の中であってほしいという意思が根底にあって保育をしていたということです。戦争はもう嫌だということが保育のベースにありました。自由な遊びも、子どもや職員の話し合いも、何故しているかというと根底にその思いがあったからでした。

   自分の頭で考え、自分で歩く。自分が主体となって自ら遊び・生活し、友達と共に過ごす。時には体ごとのけんかをしながらも主張し、仲直りをする。自分の意見を口でいう、人の話に耳を傾ける。当番をするのも掃除もするのも、子どもたちなりの自治の構築があるからです。

   とかく見栄えの良い保育は、親も保育者もうれしくなり求めがちになりますが、かつてのお二人は、もっと遠い未来の世の中に希望と願いを持ち、子ども時代を子どもらしく過ごすということを大切にしながら日々の保育を営んでいました。

   仕事を続けていると私の場合、むかしお世話になった方がたま~に自分の頭のなかにあらわれて「あんた、それでええんか?」「私そんなことを言うてたか?」と言ってきたり、一緒に語り合った仕事仲間や共に働いた友人たちが頭のなかにあらわれて「お前そんなことをやっているのか。むかし言ってたこととえらい違いやなあ」と言われることがあります。

   若いころエラそうなことばかりを言っていた自分は、世話になりっぱなしだった自分は、しっかりお二人のバトンをもらっているのだろうかと、今ごろになって深く重く思うときがあります。

(編集部注:中見出しは編集部で追加)

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この記事の監修・執筆医師

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