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推薦入試について

   東大などの推薦入試施行の報道は、公平性や公正性を希求して入試を規定していた人には到底容認しがたいことでしょう。実際、運用上も大学サイドからしたら手間がかかって、面倒くさいことはこの上ありません。

岩田健太郎(神戸大学感染症内科診療科長・国際診療部長)
岩田健太郎(神戸大学感染症内科診療科長・国際診療部長)

   しかし、「公平」とか「公正」とかいうコンセプトは、言い換えれば「間違えてはいけない」という無謬主義なんですね。

   しかし、学問の世界は「どんだけ間違えるか」の方がずっと大事なんです。エジソンが「失敗したことは1度もない、うまくいかない方法を新たに見つけ出しただけだ」と述べたように。失敗こそが最大の学びなのです。なのに大学自体が「失敗してはならない」という呪縛に囚われていてはまったくの本末転倒です。

   今、うちの娘たちが驚異的な速度で日本語を習得していますが、間違いだらけです。間違いだらけながら、覚えるのが速い。あと、わからないことだらけなので質問しまくる。こういう態度は日本では6歳まで。小学校に入ると途端に「間違えてはならない」「質問をするより答えを出す方が偉い」という教育スキームに組み込まれて、間違えるのはダメ、質問ばかりしているのは授業についていけない劣等生、という誤った捉えられ方をされます。こうして真の知性が損なわれていくのです。

   よく日本人には語学力がないと言いますが、あれは文科省が構造的に日本人から語学力を奪っているのだと僕は思います。すなわち、間違えることを許容する教育態度、答えを出すよりも質問を想起する能力です。この2つが初等教育から保証されていれば日本人の外国語習得能力は飛躍的に伸びることでしょう。

   そりゃ、推薦入試で入学した人の中には「失敗」もあるでしょう。しかし、失敗がなければ挑戦とは定義上呼べないわけで、それは織り込み済みにすべきなのです。多様な人材を発掘しようとすれば失敗は必然的に出てきますが、だからなんだというのでしょう。プロサッカーでは毎年新しい選手と契約しますが、全員が期待されたパフォーマンスを示すとは限りません。かといって無難にパフォームできる人ばかりを集めても勝てるチームにはなりません。失敗込みで勝てるチームになれば良いのです。というか、従来の入試はワンドメインの能力だけを担保していて、他は全くノーガードだったため、ある意味構造的に「失敗し続けていた」というべきなのかもしれません。ただ、昔からの大学入学が直接就職につながり、就職につながれば人生は成功という、いわば作られた物語の中でその失敗が巧みに隠蔽されてきただけです。

   が、現在のように井の中の蛙的な「物語」が崩壊している中で、ましてや世界とガチンコで勝負しようという世知辛い世の中では、とてもそういう人材では通用しません。てな訳で東大や京大の決断は、いろいろ大変とは言いながら、必然なのだと思います。多様性の許容は良いことなのです。

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この記事の監修・執筆医師

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