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ピンピンコロリ?理想と現実

3月14日は親父の命日だった。

11年前の3月、あと10日で106歳の誕生日というところで親父は力尽きた。5年半にわたる寝たきり生活の末に。

親父は僕が生まれた昭和6年に渋谷で内科医院を開業した。その医院は空襲で焼失したため戦後は世田谷に移転し、84歳の時に閉院して熱海に隠居するまで町医者を続けた。

34歳で始めたゴルフでは、65歳の時にシングルプレーヤーになり、87歳の時には自分の年齢を下回る打数でホールアウトするといういわゆるエイジシュートを達成。その後、92歳と94歳の時にも達成した。

1997年3月、北里大学退職祝賀会で親父と
1997年3月、北里大学退職祝賀会で親父と

若い頃から徹底した玄米菜食主義。自ら編み出した呼吸法の普及のため全国行脚を始めたのは91歳の時。隠居して専念するはずだったゴルフのための時間を削り、呼吸法の講演のため全国を精力的に回り、健康法の本も10冊ほど執筆した。

それでもゴルフは精力的に続けた。「俺は120歳まで生きてみせる」が口癖で、100歳になったら100歳なりに進化したスイングができるようにとゴルフスイングの研究に余念がなかった。週刊ゴルフダイジェスト誌では「ボビーよ、待っとれ」と題した連載を長年続け、100歳になった時には100歳の現役ゴルファーとしてNHKなどいろいろなメディアで紹介された。

だがそのわずか半年後、寝たきり生活が始まった。

親父は100歳になって間もなく、今度は4回目となるエイジシュートに挑戦すると宣言。頑張り過ぎたのか夏になり体調を崩し、ある晩、マンションのエレベーターの中で倒れているのが見つかった。どちらが先だったのかは謎のままだが大腿骨折と脳梗塞を併発。とりあえず大腿骨骨折の手術を行った。覚悟はしていたが、その後、認知症になり、次第に意思疎通ができなくなっていった。そして11年前の3月14日、1ヶ月間ほど続いた一進一退の危篤状態を経て静かに息を引き取った。

その最後の1ヶ月間は、かすかな希望と延命医療のむなしさが入り混じる複雑な1ヶ月だった。わが国の医療制度と介護の矛盾をまざまざと体験させられた1ヶ月でもあった。そして何よりも、アンチエイジングとは何のためなのだろうと自問する1ヶ月だった。ピンピンは結構。だが、もしコロリの代わりに終わりの見えない要介護がやってくるとしたら...

当時76歳だった僕は87歳になったが、その答えは未だに出せていない。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

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