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美容医療とQOL(クオリティ・オブ・ライフ)その原点と源流は...

先週、今週と立て続けに北朝鮮が無予告でミサイルを発射した。その今週の発射からわずか10数分後、米軍もカリフォルニアから南太平洋に向けて大陸間弾道ミサイルの発射実験を実施。北朝鮮のミサイル発射に反応したのではなく以前から予定されていた発射実験だったそうだが、いずれにしても1年半ぶりとなる北朝鮮の発射実験で朝鮮半島情勢は緊張度が増している。他方、中東ではトランプ大統領の対イラン強硬姿勢がさらに強まり、朝鮮半島を上回るキナ臭さが漂っている。

医療進歩のジレンマ
医療進歩のジレンマ

戦争やいわゆる冷戦状態は人類の科学や技術の進歩に大きく寄与してきた。それは医学や医療においても然り。戦争の歴史と並行してさまざまな治療法や医薬品、医療器具・機器が研究・開発された。

僕が専門とする形成外科の歴史は16世紀にイタリアはボローニャでタリアコッチ(Gaspare Tagliacozzi)という外科医が行った鼻の再建手術にまで遡ることができる。僕は以前、彼が勤めていたボローニャ大学を訪問し当時の手術記録などを閲覧したことがあるが、彼は決闘で失われた患者の鼻を腕の皮膚移植により再建するなど多くの手術を手がけた。

ただ、16世紀当時は外科手術全般で死亡リスクが高かったことに加え宗教上の理由もあり、救命ではなく再建が主目的の外科手術が広まることはなかった。源流と呼べるような流れにこそならなかったが、形成外科そして美容医療の紛れもない原点だ。

それが形成外科として復活し、現在の美容医療の源流としても大きく発展したのは20世紀に入ってからのこと。麻酔法や消毒法が普及した19世紀を経て、顔面外傷・骨折の再建手術の需要が急増した第一次世界大戦の時だった。戦車・戦闘機や機関銃、化学兵器など、軍需産業革命の見本市のような戦場で幸いにも死を免れ生還した傷病兵の中には形成外科手術により社会復帰を果たした者が多くいたと言われる。

アメリカの文豪、アーネスト・ヘミングウェイの実質的な遺作で、彼が第一世界大戦後の6年間を過ごしたパリでの青春の日々を綴った「移動祝祭日」にはこんな一節がある。彼の当時の住まいから徒歩数分の場所で今も営業する「クローズリー・デ・リラ(La Closerie des Lilas)」というカフェでの描写だ。


この界隈に住んでいて、リラへやって来る他の人びともいた。そのある者は、武功十字章のリボンをえりの折返しにつけていたし、ある者はまた、黄色と緑の陸軍メダルをつけていた。彼らが失った手足のハンディキャップをどういうふうにしてうまく克服しているかを、私は見守ったし、また、彼らの義眼のでき具合とか、彼らの顔が、どの程度うまく修復されたかを見た。かなり修復された顔には、まるで玉虫色のテラテラした色合いがつきまとっているものだが、それは、雪の固く積んだスキー用スロープの光り具合にむしろ似ていた。

(『移動祝祭日』福田陸太郎 訳/三笠書房/1964年)

現在の形成外科の技術水準とは比べるべくもないが、当時、一部の傷痍軍人のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)、つまり「生活・人生の質」の改善に多少なりとも貢献することで形成外科は外科の一分野としての地位を確立した。

余談になるが、当時のフランスでは顔面損傷した退役軍人のQOL改善に外科手術とは別の方法で貢献した人物がいる。アンナ・コールマン・ラッド(Anna Coleman Ladd)というアメリカ人の女性彫刻家だ。大戦中に赤十字の仕事でフランスに赴任した夫に同行し、その後、顔面の一部を損傷した元兵士たちのために立体的で精巧なマスクを作ることに人生の後半を費やした。後年、フランス政府はその貢献を讃えて勲章を授与している。

目的が再建であっても美容であっても、医療の場合は何よりもまず安全第一だが、形成外科や美容医療に関わる医師たちがこのような原点や源流も念頭に患者のQOL改善・向上に取り組み美容医療がさらに発展することを願う。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

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