文字サイズ
標準
大きく

誰がために鐘は鳴る 医師のため、患者のため、社会のため...

「インターン」=「アメリカに残された唯一の奴隷制度」

個人的な昔話になるが、1955年、昭和30年に医学部を卒業した僕はアメリカに留学したい一心で米軍極東中央病院、今の聖路加国際病院をインターン先として選んだ。戦後10年が経過していたとはいえ、当時の日本の医学や医療は欧米、特にアメリカに比べると雲泥の差があった。

無理もない。戦後直後にマッカーサー率いる連合軍総司令部は医療や医師教育の改善を日本政府に命じたが、そもそも戦争末期の日本の医療は深刻な医師不足・医学生不足、医学教育の期間短縮、欧米の最新医学・医療の情報不足などの悪循環により悲惨な状況に陥っていた。戦後10年の間にさまざまな制度や施設が急速に整備され医療や医師教育が改善したとはいえ、それをほぼゼロから再構築しようという日本が戦時中も継続的に発展し続け大勢の優秀な医師を送り出してきたアメリカとの差をたかが10年で狭めることができるはずもなかった。その連合軍総司令部が導入した制度の一つがインターン制度だったがそれに対する日本の大学医学部の反発は大きく、医者の卵の実地訓練の場としてはまったく機能せず形骸化した。つまり当時の日本で本物のインターン経験を積む場としては米軍病院が唯一の選択肢だった。

僕はその1年後に渡米し彼の地で8年間の医師生活を送ることになったが、渡米後もアメリカの医師資格制度の一環として改めて1年間のインターンを経験した。それは日本の米軍病院で経験したインターン生活とは次元の異なる、「アメリカに残された唯一の奴隷制度」の名にふさわしいものだった。日本の米軍病院でのインターンも当時の日本の大学病院での「名ばかりインターン」とは比べ物にならないほど大変だったが、アメリカでのインターン生活はそれとも比較にならないほどの激務と重圧の日々だった。奴隷時代の詳細は省くが、それでもアメリカ人や僕のように他国から来た同僚たちは皆それに耐え1年間のインターン生活を終えた。実際はそれに続いて数年間のレジデント生活を送らないと専門医としての資格を目指すことすらできないため、奴隷生活は多少質を変えつつもさらに数年間続くものだったが。

この記事の監修・執筆医師

注目情報

有益で確かな情報をお届けするという編集方針です。

「バリウム検査」は何のため?

2019年4月現在、50名の医師や専門家が「Aging Style」に参加しています!

おすすめ記事