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「NHKをぶっ壊す」それより先にぶっ壊すべきものは...

74年前の「あの日」

僕の記憶には今も「あの日」のことが鮮明に焼き付いている。

1945年の8月15日を僕は疎開先の宮城県、白石という町で迎えた。3月10日の東京大空襲では幸い世田谷の自宅は無事だったが、渋谷で開業する町医者だった父の医院は焼失。その直後に家族で疎開した先が父の出身地、蔵王連峰のふもとにある白石だった。僕は13歳、中学2年生だった。

15日正午の玉音放送については前日からラジオで予告があり、当日の放送は家族が揃って聞いた。雑音がガーガー入り混じる天皇の途切れ途切れの音声は内容も難解だったが、続いて流れたアナウンサーの言葉から、日本が負けたこと、「国体は護持」されたことを知った。長い放送のあと、何とも言えない脱力感とともに「助かったんだ」という安堵感に包まれたことを覚えている。

その日の白石は晴天。外に出ると、日の丸を付け青空を駆ける戦闘機が「デマに惑わされるな、最後まで戦うぞ」という内容のアジビラを撒いていた。あの放送はデマだったのかと一瞬がっくり来たが、すぐにデマはアジビラの方だったと知った。


この記事の監修・執筆医師

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