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「お医者様はいらっしゃいませんか?!」

僕の地元、横浜で大事故が起きた。京急本線の踏切で起きた電車とトラックの衝突事故。亡くなったトラック運転手には大変気の毒だが、事故現場の映像からすると桁違いの大惨事になっていても不思議はなかっただろう。

医師の性(さが)かもしれないが、乗り物の事故や殺傷事件などの報道があるたびに思い浮かぶ言葉がある。「お医者様はいらっしゃいませんか?!」。いわゆる「ドクターコール」だ。

「お医者様はいらっしゃいませんか?!」

30年あまり前のことだろうか。旅客機の客室乗務員がまだ「スチュワーデス」と呼ばれていた時代の話。アメリカ出張の帰路、デトロイト空港を飛び立ったノースウエスト航空のジャンボ機が巡航高度に達して間もなく、ドクターコールの機内放送が流れた。スチュワーデスたちが左右を見渡し「お医者様はいらっしゃいませんか?!」と英語や日本語で声をかけながら通路を歩いてくる。

僕は覚悟を決めてスチュワーデスに声をかけた。彼女の案内でビジネスクラスエリアに行くと、青ざめた顔をした若い女性が毛布に包まれ横たわっていた。日本に留学中のアメリカ人。まだ「女の子」と呼べる年齢だった。夏休みのため実家のあるデトロイトに里帰り。一時帰国中に妊娠中絶手術を受け、日本に戻るフライトの中で不正出血。脈と血圧はかろうじて正常範囲内で出血もおさまっていたが、このまま10時間を超えるフライトに挑むのは危険だった。

僕はすぐにデトロイトに引き返すようスチュワーデスに言った。だが、女性は出血とは別の問題に直面していた。

ドクターコール対応にもお国柄?

YES, DOCTOR...
YES, DOCTOR...

女性はデトロイトの実家に滞在中、家族に内緒で中絶手術を受けていた。手術後、出血を懸念した医師からはフライトを延期するように言われたが、もともと予定していたのが新学期開始にギリギリ間に合うフライト。予定通り日本に戻らないと妊娠中絶が家族に発覚してしまうことを恐れた彼女が無理して乗ったフライトだった。デトロイトには絶対戻れないと、女性は泣きながら僕とスチュワーデスに引き返さないよう懇願した。僕はパイロットと対応を協議するためスチュワーデスの案内でコックピットに向かった。

パイロットはチャート図を広げ航路を説明した。アンカレッジまではカナダの海岸沿いに飛ぶので、いざとなれば最寄りの空港に緊急着陸できる。だが小さな空港だと設備の面で不安があるためアンカレッジまで飛びたいという。その先はひたすら太平洋なので、洋上で再出血したらお手上げだ。

結局、パイロットとはアンカレッジを目指すことで合意。女性の説得はスチュワーデスに任せた。ジャンボ機はアンカレッジに近付くと、緩やかに旋回しながら両翼の先端から燃料を霧のように散布したのち無事アンカレッジ国際空港に着陸。女性は待機していた救急車ですぐに病院に搬送され、僕たち乗客の乗ったジャンボ機は再給油したのち日本へ向け離陸した。

以前は国際会議などのため海外を飛び回る機会も多く、僕はこのようなドクターコールで応急処置などの対応をしたことが幾度かある。また、他の医師がドクターコール対応するフライトに乗り合わせたことや、医者仲間と移動中のフライトでドクターコールが発生したこともあるが、僕の経験ではこのような時に真っ先に応じるのは日本人医師が多かった。ヨーロッパ人も同程度いたかもしれないが、少なくとも当時、アメリカ人医師でドクターコールに応じる者はほとんどいなかった。

だが、いつの頃からだろうか、日本でも国内線や新幹線などでドクターコールに応じることを見送る日本人医師が多いという話をメディア等で見聞きするようになった。

医師の応召義務と「善きサマリア人の法」

日本の医師法には、「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」という条文がある。いわゆる「医師の応召義務」だ。この義務はもちろん旅客機内や他の交通機関での緊急事態に限られるものではない。このような義務が国の法律として定められているのは世界的にも珍しいといわれる。最近活発になっている「医師の働き方改革」の議論でもこの応召義務が重要な論点の一つだ。

日本が徐々に訴訟社会へ移行するのに伴い、応召義務は医師にとって、最低限の治療設備や体制のない状況下に「善意で行った応急処置ののちに不慮の事態が発生した場合、その責任を負うことになるかもしれない」ということが昔よりも格段に重い荷となった。僕の以前の経験ではドクターコールに応じる日本人医師が多かった理由として、もしかすると昔の方が応召義務の精神を叩き込む医学教育が行われていたのかもしれないが、それよりも当時の日本は医師が今のように訴訟リスクを心配する社会ではなかったことが大きいだろう。

筋金入りの訴訟社会であるアメリカに比べると今の日本はそれでも医師の訴訟リスクがかなり低いとも思うが、いずれにしても医師の応召義務や日米の訴訟リスクの話で触れないわけにいかないのが「善きサマリア人(びと)の法」だ。

「善きサマリア人の法」とは、キリスト教の聖書に登場する寓話にもとづく概念。誤った対応をしてしまった場合の処罰の恐れをなくすことにより、その場に居合わせた人の善意による救護や治療を促進するために広まった。アメリカの場合、制定時期や内容が州によってかなり異なるようだが、現在ではすべての州でこの概念に基づく法律が定められているはずだ。あくまでも治療内容に重大な過失が無いことや、治療の対価を得ないことが前提となるが、ドクターコールに応えることに伴う医師のリスクや心理的なハードルを下げる免責制度だ。僕がニューヨーク州の外科医だった1950~60年代当時、この法案が州議会に上程され否決されたことがあった。医師側としては、それなら路上で怪我人や急病人を見かけたとしても「見殺しもやむなし」という話になったのを覚えている。当時はアメリカでもこの法律のある州は少なかったが、その後1990年頃までには全米に広まったと記憶している。

ただ、僕の記憶するアメリカ人医師たちはその後もやはりドクターコールに対しては非常に消極的だった。

訴訟社会化が進む日本で...

アメリカの場合、州によってかなり法律が異なることや、免責対象となる重大な過失とそうでない過失の線引きなど、恐らく心理的にも実務的にも高いハードルが残っていたのだろう。その後、20年ほど前にはアメリカの航空会社各社が独自の免責制度を導入し、少なくとも国際線でのドクターコール対応に伴う医師の訴訟リスクはかなり低くなったはずだ。

翻って日本ではどうだろうか。

「善きサマリア人の法」を導入する上での検討は関連各界で度々されてきたようだが、今のところまだ法制定までは必要ないとされているようだ。他方で応召義務はしっかりと存続している。訴訟社会化や価値観・慣習の多様化、実質的な移民政策などが進む今の日本社会の現状と将来を見通すと、これはあまりにも無理があるのではないだろうか。

ドクターコールに応じる善意と行動力のある医師は本来必要以上のリスクを背負う一方で、「善きサマリア人の法」が無いことを理由にドクターコールに対して可能な限り消極姿勢をとる医師が増えるような社会にならないことを願う。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

この記事の監修・執筆医師

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